離婚の記事について
私は20代でスピード離婚しました。たった2年の結婚の子無し離婚なんて大したことない若気の至りと今なら思いますがそれでも当事者は辛い…夫(大魔王)との離婚劇です。//*
《 BEFORE STORY 》
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「離婚や」
「離婚や」
夜中のことだった。旦那に言われた衝撃の一言。
帰ってきた酔っ払いの戯言かと思ったが次の日もいうことは同じだった。
彼が何をそんなに思い詰めていたのか今になってもわからない。
何千回、何万回レベルでこれまで考えたが結局釈然としないのはやはり彼はそもそも私の理解の範疇にいない男だったのだ。
彼とは大阪で出会った。大阪人らしい豪快さを持ち、関西人のイメージ通り「面白い」を大切にしていた。「俺といたら何やっても楽しいで!」と出会った頃に言い放ったのだがそれは本当だった。平日は一緒に料理をつくり、居酒屋を飲み歩き、休日は月に1度は旅行に出かける刺激的な毎日だった。
お互いが東京に転勤になり、半同棲を始めた20代半ば、「結婚しよう」と言ってくれた。彼は上場企業に勤める国立大卒のエリート、キャリアウーマンの私への理解もあり、面白いし顔も好み。丁度周りの友達も結婚し始める頃、結婚への迷いはなくこれからの生活にワクワクした夢しかなかった。
幸せだったのに
全てが幸せだったかのような書き方をしてしまった。
今思うとそんなことは無い。いくつか悩みもあった。
彼は出会った頃からセックスが苦手だった。完全に出来ない訳ではないがEDに近かったかもしれない。最初にホテルに行った時は結局最後までできなかったのを覚えている。結婚する頃には月に1回ペースだったか、彼もそれがコンプレックスだった。でもそんなこと結婚する前の私は大した問題ではないと思っていた。
また、感情の起伏が激しかった。ノリが良くコミュニケーション能力が高い反面、どこか人の心の機微に敏感すぎる一面があった。他人の気持ちにも自分の気持ちにも敏感で、自分に感じる違和感を我慢できるタイプではなかった。多感で好き嫌いも多かった。この騒動に代表されるように衝動的に思ったことを行動に移す行動力も高かった。
離婚だって
さて、私は離婚を突き付けられた。
このように多感な面を秘めた彼と対照的に当時の私は単純だった。挫折を経験したこともなくそれなりに恵まれた就職をして恋愛をしてきた優等生肌の凡人だった。余計に彼の悩みなんてわからなかったのかもしれない。
それからの私は憔悴していった。よくわからない離婚を突き付けられ、理由を聞いても面白くない、魅力を感じない等いきなり離婚を突き付ける理由には弱い。要約すると「嫌いになった」にしか聞こえない。不倫でもしてるのだろうか、私がよっぽどひどいことをしたのか等様々な憶測を巡らせるうちにみるみる憔悴していった。
離婚すると言い出してからまもなく彼が家から出て行った。当時はありえない申し出へのショックで修復の道を探ることしか考えていなかった。彼の母親に連絡して理由を聞く、週に一回話し合いの場をもってお互いの心境について話し合う。そのような努力も空しく状況はしばらく平行線をたどった。
それから1ヵ月、夜は眠れないし胃も痛い。ついに初めて精神科に顔を出す程体への影響も大きくなってきた。不眠はすぐに解消したものの胃の痛みはそれから1年は悩まされることになる。(2年後の胃カメラにて食道炎が発見され、この時のストレスダメージがはっきりした)
嫌だよ、離婚なんて
当然離婚には抵抗があった。
27歳、まだ離婚経験がある友人などそう多くはない。ましてやいい子ちゃんばかりのコミュニティに育ったので道を外れた友人などいなかった。(当時は離婚することが道を外れた恥ずかしいことに感じていた。)「順調だった私の人生、どんな悪い夢をみているんだろうか。なんとか数ヵ月前に戻れないだろうか。」そんなことばかり考えていた。
そのような中、彼いる単身マンションで週一回の話し合いをした時に一度だけセックスをした。その時の私は悩みに悩み随分体重が少し落ちげっそりしていた。前述のように普段から機会は多くなかったがそこになぜか魅力を感じたらしくことに及んだ。「子供が出来たらどうしよう、最悪だ。」彼はその後そう言った。その時に私は確信した、もう修復の道はないと。今思うとなんて最低な男だろうか、当時は変わってしまったと思ったがもともとそうだったのだ、きっと。
2ヵ月間思い詰め、別居という不自然な状況にも耐えられず、早くも限界に達しつつあった。時間をかけて修復するという手もあったかもしれない、が、私にはその時間が耐えられなかった。この理解不能な男をこれから理解できるかというとそんな気がしなかったのだ。
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